NOVEL
- #01-#10
- #11-#20
- #21-#30
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
- #01-#100
- #101-#200
- #01-#10
- #11-#20
- #21-#30
- #31-#40
- #41-#50
- #51-#60
- #61-#70
- #71-#80
- #81-#90
- #91-#100
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
- #101-#110
- #111-#120
- #121-#130
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- #161-#170
- #171-#180
- #181-#190
- #191-#200
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。
第3話
■第三話
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
にっこりと微笑んだ約束の相手に、光啓は意外な気持ちで目を瞬かせた。
(女性……だったのか)
紹介してくれた相手からは、贋作を作った相手を知っていそうな人物――つまり裏家業の人間だと匂わされていたので、まず女性であることに驚いたのだ。そして、彼女のハイブランドの黒いスーツ、流麗な所作の全てが、この薄暗な裏通りには似つかわしくないものに思えた。
「お待たせしまして申し訳ございません。伊田より紹介いただきました芥川と志賀です。こちらはの泉は……えー、同僚です」
光啓がかるく自己紹介でもすべきかどうか悩みながらとりあえずの挨拶をすると、聯という女性は微笑みを崩さないまま頷いた。
「ええ、伺っているわ」
その声色は穏やかと言ってもよく、ゆるくウェーブのかかった髪といい、目尻をさげた微笑みは柔らかそうな印象がある。だが、それを裏切るように、光啓たちを観察するような目の妙な威圧感が、彼女が修羅場を知っている側の人間であることを語っていた。
(……いきなりヤバそうなのが出てきたな……)
ちらと見ただけで腹の内まで貫いてきそうな視線。うかつに動けば噛み砕かれそうな気配にびりびりとした警戒が光啓の中にわき起こる。が、そんな空気はまったく感じていないのか「うわー」と涼佑が間の抜けた声をあげた。
「すっげー美人!」
この状況で出てくるのがそんな言葉なのは、いっそ尊敬するべきか。一瞬現実逃避しそうになった光啓をよそに、涼佑は遠慮無しに続ける。
「いや-、そのスーツお似合いですね! そういう体に沿ったデザイン、お姉さんのようなグラマーな女性だと着こなすのが難しいのに、むしろ引き立てていらっしゃる」
「……ちょっと黙って」
「さりげないダイヤのカフスにもセンスが光ってるっていうか! まあお姉さんの美しさにはそれも霞んでしまいますけどね」
光啓がやめろと肘でつついているのにも構わず、涼佑はセールストークにしてはやや熱の入った褒め言葉を垂れ流し続けている。ナンパでもしているつもりなのだろうか。
(いや、相手が誰かわかってんの……!?)
女性はにこにこと笑っているが、その表情は涼佑の言葉がひとつも響いた様子はない。そんなお世辞は言われ慣れているだけかもしれないが、心持ち空気がひんやりとしたのに涼佑は気付かないのだろうか。こうなったら足でも思い切り踏んでやるしかないか、と思っていると。
「でもほんとお綺麗ですね! それに足の筋肉の付き方! 無駄がないというか、引き絞られているというか……もしかして、何かスポーツされてますか!?」
「志賀さん……」
なんのスイッチが入ったのだか、逆隣からは奈々が身を乗り出さんばかりの勢いでそんなことを言い始めたのだから、光啓は頭が痛くなった。
(お願いだから少し危機感覚えてくれないかな……!?)
ふたりの態度に頭を抱えていると「ふふ」と甘やかな笑い声が、聯と名乗った女性の口から零れた。
「カワイイひとたちだこと」
面白がっているような、そのくせどこか蔑みを混ぜたような声は、柔らかいのにぞくりと冷たい響きがあった。
「……それで? 「誰」を探しているのだったかしら」
光啓は嫌な予感を覚えて奈々を後ろに下げさせながら、自身もゆっくりと足を引く。
「聞いていると思うけれど、わたしは美術品の取引を生業としているの。職業柄、変わった品物を扱うこともあるわ。ちょっと大きな声では言えないような、ね」
「…………」
「そしてあなたは、そんな秘密の根っこを探している……そうね?」
「待ってください、その言い方は少し……誤解があるようです」
本来は、裏家業に関わるような相手に弱気な態度を見せるのはあまりいい手ではないのだが、光啓は先程から聯が腕を組みかえるタイミングが気になっていた。
右腕が下に、続いて左手が頬に触れたあと、降りて肘を指でトンと叩く。それはどうにもどこかへ合図を送っているように見えるのだ。
(こんな状況で、彼女が誰になんの合図を送っているか……あまり考えたくないな)
聯と名乗る女性が、どういう立場から自分たちのことを見ているかが需要だ。空気が読めないような相手だと思われるならともかく、何かを探っているのだと認識されるのはまずい。
「俺たちはあくまであの絵がどうして作られ、どのルートで流れたのかを知りたいだけです。別に、犯人捜しをしたいわけでは……」
「あらそう」
あくまで自分たちは敵ではない、と光啓は両手を挙げんばかりの低姿勢を作ったが、聯はにっこりと微笑んだ直後、酷薄に目を細めた。
「『あの絵』を作った相手を探している人間がいると聞いて、どれだけの相手なのかと楽しみにしていたのだけど。まだ「そこまで」なの……ちょっとガッカリだわね」
その意味深な言葉は、最後の合図だったようだ。
いったいこの狭い通路のどこに潜んでいたのか、いつの間にか光啓たちの背後から複数人の男達が迫ってきていた。それも、見ただけで暴力を使うのに慣れた人間だとわかる。
「こんな漫画みたいなことある!?」
「今目の前で起こってるね!」
状況察知能力だけは高い涼佑が光啓を盾にするように後ろに下がってわめくのに、光啓もやけになったように怒鳴る。
「だから言っただろ!? 裏家業の人間に関わるのはマズイって」
「ついてきたのは涼佑の勝手でしょ!」
まったく役に立たなさそうな涼佑のことはともかく、奈々を巻き込むのはまずい。光啓は今の状況を前に頭を回転させる。
(考えろ……幸い、男たちのほうはまだ油断しているし、殺意はない。武器らしきものも持ってない……つまりこれは脅し、または警告だ。そこに交渉の余地があるはず……!)
じりじりと近付いてきていた男たちの手が、光啓の腕を掴みかけた、その時だ。
「とぉう!」
妙にうわずった一声がしたかと思うと、光啓に向けて伸ばされた男の腕がぐいっと曲げられた。
「……へ?」
突然目の前で起こったことが理解できないでいる内に、次の瞬間には男の大きな体がぐりんっと光啓の目の前でひっくり返り、続けてどしんと音を立てて地面へ倒れていく。
「……え?」
何が起こったのかわからないで光啓が目を丸くしていると「これ持ってて!」と続いた声が絵を包んだ荷物を押しつけて、奈々がずんずんと男達の方へ向かって行くではないか。
「お、おい!」
「危な……! ……い?」
慌てて止めに入ろうとした光啓たちは、目の前で始まった光景に揃って止めようとした手を逆に引っ込めた。
まずひとりめの男は、にやにや笑いをしたまま奈々を掴もうと腕を伸ばしたその腕を逆に取られると、すぱんと足を払われて体が前に倒れ、そのまま壁に頭をつっこんで沈んだ。
ふたりめはそれに驚いている間にシャツを引っ張られてバランスを崩したところを、支えていた足を払われてぐるんと体がひっくり返り、地面に後頭部をしたたか打ち付けて沈黙。
さすがに三人めともなると警戒したのか、いきなり奈々の正面から殴りかかろうとしたが、小柄な体がすっと屈んだせいでパンチは盛大に空をきり、その下からバネのごとく伸び上がった奈々の頭に顎をぶつけられて悶絶するはめになってしまった。
「え、なに彼女、格闘家?」
「……ただのスポーツ用品店のOLさん……のはず、だけど……」
ぽかんとする涼佑に、光啓もツッコミを入れるのがせいぜいだ。
そうこうしているうちに最後のひとりまで倒しきって、奈々は埃を払うようにパンパンと手を叩くと、はあーっと大きく胸を撫で下ろした。
「こないだやってた護身術の配信、見てて良かった~!」
にっこり笑って手を叩いている奈々は、怪我どころか汗ひとつもかいた様子がない。
「……配信? 護身術??」
え、意味が分かりませんけど、と光啓の頭は疑問で一杯だ。
「……彼女、ヤバくない?」
涼佑が尊敬とも恐れともつかぬ呟きを漏らしたのに、光啓も今回ばかりは同意見である。
(とりあえず、男たちは何とかなった。問題は……)
彼らをけしかけた聯の目的だ。どう出るかを確かめようと光啓が振り返る、と。
「う……うふふ……アッハハハハ!」
その場に不釣り合いな笑い声が響いた。
「やるわねぇお嬢さん。いやはや、お見事」
パチパチとわざとらしい拍手をしているのは聯だ。さきほどまでの強い敵意の気配を消した聯に、はあっと光啓は肩を落とした。
「……やっぱり、試したんですか」
「なんだ、わかってたの」
「本気ではないってことぐらいは」
男たちに武器が無かったこともそうだが、自分たちを襲うことが目的なら挟み撃ちにすることができたはずなのだ。それが後方を塞いだだけ、ということは、痛い目にあいたくなければ関わるなという脅しのほうが目的だろうと推測できた。
(とはいえ殴られるぐらいはしたろうから、志賀さんがいなければ逃げ出すしかなかったけどな)
そんな内心の冷や汗を隠し、光啓は「それじゃあ」と探るように聯を見る。
「合格……ということで、いいんですか」
「ふふ。まさか」
楽しげに笑っているが、返答はにべもない。
「あなたたちのような一般人にこうして会ってあげるだけでも、こちらが相当リスクを負っているのはわかるでしょう? 無傷でお帰ししてあげるのがギリギリの優しさよ」
(ですよね……)
聯の言葉はもっともだ。そもそも警告だけで済ませようとしてくれたことから彼女の善意だろう。好奇心のあまり、焦って事を進めすぎたな、と光啓はやや悔いていたのだが「でも」と囁くような声が続いて、聯はいつの間にか近付いた奈々の頬をついっとその細い指でなぞっていく。
「は、はわわ……!?」
妙に艶やかな仕草に、奈々が顔を真っ赤にするのを楽しそうに眺めて、聯は続けた。
「この勇敢でかわいいお嬢さんに免じて、紹介だけはしてあげるわ――『その先』はあなた次第というところかしらね」
まるで何かを試そうとするかのような視線に、彼女は光啓の探していること以上の何かを知っているのではないかという予感がしたが、今はこれ以上の追求は無理だろう。
(とりあえず、糸は繋がった。それだけで満足しておくべきかな……)
光啓は頷いて彼女がどこかへ電話を掛ける姿を眺めたのだった。