NOVEL
- #01-#10
- #11-#20
- #21-#30
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
- #01-#100
- #101-#200
- #01-#10
- #11-#20
- #21-#30
- #31-#40
- #41-#50
- #51-#60
- #61-#70
- #71-#80
- #81-#90
- #91-#100
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
- #101-#110
- #111-#120
- #121-#130
- #131-#140
- #141-#150
- #151-#160
- #161-#170
- #171-#180
- #181-#190
- #191-#200
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……
第2話
■第二話
How do you trust――『どうやって信用する?』
(これは……確かにメッセージだ。でも、誰が、一体なんのために……?)
光啓は、ただの粗雑な贋作だと思っていた絵画に仕込まれていたメッセージをじっと見つめた。見た者に対して尋ねかけているようなそのメッセージこそ、この絵画の狙いなのではないかと直感的に思ったからだ。
「おい、どうした?」
「芥川さん?」
まるで呆けたようにじっと絵を見つめている光啓に、ふたりは首を傾げていたが、光啓はそんなふたりの視線に構わず、絵をひっくり返してその裏面を確認すると、小さく息をついた。
「やっぱり……この額縁も“そう”なんだ……」
「なあって! どうしたんだよ、急に。その絵になんか問題があんのか?」
自分の世界に入ってしまった光啓にじれたように涼佑が声をあげると、光啓はようやく息を付いてふたりに向かって視線を上げた。
「これは、ただの贋作じゃないみたいだよ」
「どういうこと?」
「これは、メッセージだ……何者からかの、ね」
「「えええ!?」」
光啓の言葉に、ふたりは本日二度目になる驚きの叫び声を重ねる。
「悪いけど、志賀さん。この絵の持ち主に、どこで買ったのかとか詳しく教えてもらっていいかな?」
その数日後。
「……本当に、この絵を描いた贋作師を探すの?」
「うん。贋作の出回るルートは掴んでおきたいからね」
スマートフォンに表示された地図を頼りに迷いなく歩く光啓に対して、奈々はあまり気が進まない様子で周囲を見回した。
それもそのはずで、光啓たちの歩いている場所は表通りから離れた飲み屋の雑居ビルで、ごちゃごちゃとする昼間でもやや薄暗い裏道だ。
贋作師、という響きも、普通ならあまり関わりたい相手ではないのだから、当たり前だろう。
普段なら光啓も、触らぬ神に祟りなし、と言うところだが今回は事情が違った。
「うちの取引先がうっかり引っかかってしまわないように、対策しておきたいし」
とはいえ、それはほとんど建前で、光啓をつき動かしていたのは強い好奇心だ。
(ただそっくりに作れば良いはずの贋作に、わざわざあんな文章を仕込んだのには、何か意味があるはずだ)
一定の角度で見なければ気づけないとはいえ、購入時にバレるリスクを考えれば時間が経ってから露出されるようにしてあったのだろう。
そんな細工ができるほどの腕がありながら、少し詳しい人間が見れば贋作とわかるような粗雑な出来というちぐはぐさ。額縁の年代のズレ。
(あれは、どう考えても見つけてくださいって言ってるようなもんだ)
あえてそんなものを作った理由を突き止めたいと、自身のコネクションを色々と頼った結果「もしかしたらこの人なら知っているかも」という人物の紹介を受け、その人と会うために休みまで取ったのが昨日のこと。
できれば何か手がかりを掴むために例の絵を貸して欲しい、と光啓が頼んだところ、奈々の方から同行を申し出てきたのだ。
「べつに、来なくてもよかったのに」
「元々私が頼まれたことだし、こんな大きな荷物もって歩くの大変ですよね?」
体を動かすことが好きな奈々と比べて、インドア派の光啓には体力が無いので、その申し出は正直ありがたくはある。だから、彼女が同行しているのはいいのだが。
「いや-、お前マジですげーな。こんなすぐ贋作師の手がかりにたどり着くなんてさー」
「…………」
その隣からのんきな声を上げた涼佑については、まったく呼んだ覚えがない。光啓は本来仕事中のはずの同僚をじとりと見やった。
「……なんで涼佑がついてくるの?」
「なんでって、おれが持ち込んだ案件なんだから当たり前じゃん?」
そんな光啓の反応にまったく堪えた様子もなく、さも当たり前という顔で開き直っている涼佑には、経験上何を言っても無駄だ。どうせ、光啓が何もなく休むはずが無いと当たりを付けて来たのだろう。それだけの根拠でわざわざ光啓の家の前で待ち伏せていたのだから、その根性には頭が下がる。
(仕事もそのくらい熱心ならいいのに)
深々と溜息を吐き出した光啓に、奈々は心配そうに声をひそめた。
「……いいんですか?」
「ここまで来たんだから、仕方ないよ」
ふたりの遠慮の無いやりとりに、仲が悪いと思っているのかもしれない。気遣うような視線を交互に送られてきたが、光啓は肩をすくて苦笑した。
「どうせ、今から帰れって言ったって無駄だろうし」
「そーそー」
自分のことを言われていると思えないような態度でにこにこと笑った涼佑は、光啓の肩に馴れ馴れしくもたれかかると、その手元のスマホに映された地図を覗き込んだ。
「しっかし変なところで約束したんだな。この辺りってキナくさい店とかぼったくりが多いってんで有名なとこだぜ」
「相手からの指定だから、仕方が無いよ」
「ふーん?」
光啓のそっけない態度も気にする様子なく、涼佑は首を捻る。
「ほんとお前のコネクションって変わってるよなー。正直こんな数日で、手がかり掴んでくるとは思わなかったぜ」
「ほんとです! 私もまさか、連絡が来るなんて思ってませんでした」
「僕もちょっとびっくりしたけど、美術系の流通に詳しい人がいたから」
涼佑と奈々がそれぞれ感心した様子なのに、光啓はほんの少し照れくさげに頬をかいた。
「それにこういう変わった話が好きな人が多くてね。心当たりを手当たり次第当たってくれたみたい」
「へえー」
「暇人かよ」
奈々は素直に感心しているようだったが、涼佑は自分とは性格があいそうにないと思ったのか、やや微妙な反応だ。
「例のSatoshi Nakamotoも探してるヤツがいたりして」
「まあ……いるかも。みんなちょっと、変わってるし」
「お前が言う?」
あいまいに応じる光啓に、涼佑は呆れた声を上げた。
「お前だって、相当変わってるぞ。あー、だからか。類は友を呼ぶってヤツだな」
「…………」
実際、光啓が取引先で知り合ったひとたちは、普段あまり他人とは共感しにくい話で意気投合したケースが多いので強く否定できない。保険会社という仕事柄、取引先も職種が多岐にわたっているので、余計に顔が広くなっているのは事実。だが、変わっていると言われるのは光啓を複雑な気持ちにさせた。
(どうせ、僕は変わり者ですよ)
社内でもそういう扱いを受けている自覚はある。こんな風に関係なく絡んでくるのは涼佑ぐらいのものだ。そういう涼佑こそ変わっているのではないか、と思うが、彼の場合はただ人付き合いがフラットすぎるだけのようでもある。
「で? で? 贋作師を知ってるかもしれないって相手、どんなヤツ?」
光啓の内心など知らず、涼佑はお気楽な調子のままだ。
「探偵とか、警察とか? おれの知り合いにぜんぜんいなさそうなヤツだといいなー」
興味津々と言った様子だが、半分はうまくやって自分のコネクションにできたらなあ、などと考えているのが丸わかりの態度だ。どうせそんな理由でついてきたのだろうと最初からわかっていたので、光啓は少し意地の悪い気持ちで「たぶん絶対に知り合いにいないタイプだよ」と声を潜めた。
「美術品関連のディーラーのなかでも、密かに知られた人物らしいからね。市場に出回らないものでも、その人に頼めば手に入る、とか」
「…………ちょっと待てよ、それって?」
さあっと顔色を変えた涼佑に、光啓はわざとらしくゆっくり頷いてやった。
「まあ……その筋のひと、かな」
「おいおいおい、ちょっとそりゃマズいんじゃねえの?」
一応、奈々に気を遣ったらしくひそひそと声を潜めはしたが、涼佑の顔色は不安と同時に計算高い警戒が滲んでいた。
「そりゃな、仕事柄ちょーっと怖いひとたちが後ろにいそうだなーって取引先はあるけどさ。仕事以外で関わったってなったらさ」
「まあ……部長とか、そういうのうるさそうだよね」
頭の硬そうなお互いの上司の姿を頭に浮かび、涼佑の顔はわかりやすく真っ青になった。だが、人の話を聞かずに勝手についてきたのは涼佑のほうである。
「ちょ、マジでやばいやつじゃんかよー!」
「今更?」
思わずツッコミを入れてから、光啓は溜息を吐き出した。
「今からでも帰れば? このあたりはよく知ってるんでしょ?」
「うう……まあ、そうなんだけどさ……」
しれっと言ってやると、涼佑は難しい顔をした。
「ここまできて、じゃあ帰るってのもなあ……志賀さんはうちの取引先の子だし、放っとくわけにも……けど部長も怖いし……」
好奇心と保身の天秤ががっくんがっくん揺れているのだろう。しかし残念ながら、涼佑がぶつくさと呟いている間も、誰も足を止めていないのだ。地図上で目的地を示す点が自分たちの現在地と重なったところで、光啓はスマートフォンをポケットにしまった。
「……悩んでるとこ悪いけど、もう着いたよ?」
「ええ!? ちょ、心の準備が……!」
涼佑はあわあわし始めたが、後の祭りだ。
待ち合わせ場所として指定された店の前には、すでに“相手”が光啓たちの到着を待っていた。
「あなたが、聯(れん)さんですか」
「そうよ」
柔らかな声で答えたのは、裏稼業の人間とは全く思えないような、穏やかな笑みを浮かべた女性だった――……